第一回サブゼミ建築論を行いました。テーマは「日本初期モダニズム」。日本におけるモダニズムの成立について考察します。僕の担当は堀口捨己。正直これまで堀口捨己とは誰なのか全く知らなかったんですが、結構有名な人みたいです。分離派建築会という日本で最初の建築運動を起こした人で、モダニズムと日本について考えられていた人です。茶室の研究でも有名。
分離派建築会とは、1920年石本喜久治・滝沢真弓・堀口捨己・森田慶一・矢田茂・山田守によって結成されたグループで、歴史主義を否定し、模倣によらない新しい建築の必要性を訴えたグループです。また、工学技術に偏りがちだった当時の建築界のなかで、建築の芸術性を強く主張しました。 堀口捨己は若い頃に欧州留学し、オランダのアムステルダム派とデ・ステイルに強い影響を受けたそうです。この作品は紫烟荘といって、1926年に完成しています。アムステルダム派とデ・ステイル、そして日本建築からの影響でつくられたそうです。普通のモダニズムとはだいぶかけ離れています。 これは、旧岡田邸です。数奇屋建築とモダニズム建築がぶっきらぼうに併置されています。その境目で庭の別れていて、間に段差と池があります。当時の帝冠様式のような伝統理解とは全くかけ離れており、ただ単に横に置かれているだけです。この手法がなんか面白いと思います。かなり変わってます。 これは、若狭邸という作品です。外観はインターナショナル・スタイルですが、配置や内部空間は日本建築の構成を採っています。モダニズムと和風が融合した傑作と言われています。 この人は結構変わった方法で、モダニズムと日本の伝統を調停しようとした人だと思います。帝冠様式や丹下健三のような方法とはかなりちがうと思います。また、モダニズムと和風の間でかなり揺れ動いててます。 この時代の人は、日本という国家についてかなり敏感だったのだと思います。建築がまだ国家を背負う使命があった。日本という国家のアイデンティティを示す必要があった。そのためのスタンスの取り方は色々あり、西洋の近代建築を直接移入した人もいれば、帝冠様式のような方法をとった人もいた。前川國男なんかは、そのような空気のなかで純粋なモダニズムの箱を提示し、丹下健三は神社を参考にした配置をおこなった。堀口捨己はもう少し精神的な面での融合を求めていたと思います。 正直、その時代の雰囲気をまとめたいと思っていたけど、まとまりません。でも、いろんな建築家の試みと、どんなことをテーマとしていたのかをかじるぐらいにはなるかとおもいます。 サブゼミ建築論、毎週続くので、是非参加してください。聞くだけ、冷やかし大歓迎です。
by h_tanabe1212
| 2005-10-20 21:13
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