サブゼミ建築論vol.3:伝統論争
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サブゼミの今回のテーマは伝統論争・・・。50年代に新建築で繰り広げられた論争。丹下健三、川添登、白井晟一を中心にさまざまな人を巻き込んで争われたそうである。おおまかな論争のテーマは、日本の伝統をどのように現代に受け継ぐか、ということ。



これについては、第一回におこなったモダニズムの初期にも議論されていたことである。文明開化によって、西洋と肩を並べるまでに成長した日本という国家にふさわしい建築とは何かということを、建築界の中で広く議論されていた。それに伴い、西洋建築と日本建築の折衷様式である帝冠様式や、モダニズムに和風の精神を反映させたものがでてきていた。当時はまだ業界内で広く理解されていなかったモダニズムを正当化するために、桂や伊勢、茶室などが持ち出されたのである。
しかし、この伝統論争時には、業界内ではモダニズムが隆盛であった。そんな中、丹下健三はモダニズムの常識からは少し外れることをおこなっている。日本の伝統建築に見られる柱、梁のシステムを造形として取り入れている。これには、反発が起きるのは当然であると思うのだが、なぜ、丹下はこのようなことをしたのだろうか・・・。
丹下は、広島のピースセンターなどを手がけ、戦災からの復興を目指す日本という国家を背負っていた。建築が戦災復興の象徴として、また、成長の象徴としての役割を担っていたときに、大衆に理解される必要があったのだろう。その時、日本の伝統というものが現れる。大衆に理解されるには、モダニズムのただの箱ではなく、わかりやすさが必要だったのだろう。精神のみを受け継いだ知的なものではなく、形態として、誰にでも見たらわかる方法が必要だったのだろう。それで、「美しいもののみが機能的である」というテーゼを用い、モダニズムの常識とは異なる表現をして見せたのである。それにより、丹下は国民的な建築家となっていく。香川県庁舎などを経て、最終的にはオリンピック競技場により、国民のヒーローになり、また世界的にも日本のモダニズム建築家としての名声を手にすることとなる。

一方、伝統論争のもう1人の立役者である、白井晟一はどうなのだろうか。白井は「縄文的なるもの」という論文で、一躍有名になったそうなのだが、正直あまり知らない・・・。詳しい方、また、いろいろ教えてください・・・・。
また、縄文、弥生という点についても、あまりわからないままなので、是非いろいろ聞かせていただければとおもいます。縄文と弥生というのを議論する意味は何なんでしょうか・・・。

で、サブゼミは三回終わったんですが、調べ物をして発表しておしまい・・・という感じで、なにも発展せずに終わってる気がします・・・。まあ、知識を増やすことはいいんやけど・・・。これからにつながる議論等ができればいいのですが、なにかないですか。例えば、これから伝統について議論する必要があるのか?とか・・・・・。
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by h_tanabe1212 | 2005-11-05 11:57
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